あっぷる de アート「小学校に棲む虎」

新年初のアート紹介はトラづくしで参ります!
生きたトラを見た事のなかった江戸時代の絵師達。
虎画を描く際には先人の作品や、南宋画をお手本にしていたそうです。
生きた姿は猫をヒントに・・・(後は各自の想像と創意工夫で〜)
だから何とな〜く猫っぽい作品が多くなるのは仕方のないこと。
(う〜ん、千里走って戻って来られるか怪しい?!)
 
円山応挙の虎を挙げてみますと・・・猛獣感がなくて可愛いくらい。
常に写生帖を持ち、スケッチに余念が無かったといわれる応挙ですら、こうなっちゃう。
(だって、生きたトラは見たことないんだもの〜しょうがない!)
ちなみに毛皮は見ていたそうで、原寸で描いたりと追求したようです。
 
 
作品名:紙本墨画遊虎図(国宝・重要文化財)
製作年:1787
所蔵 :金刀比羅宮
作者 :円山応挙 17331795
(襖16面、腰障子貼付8面の内一部)
 
動物画では竹内栖鳳(せいほう)は外せません。
1900年のパリ万博視察で欧州を巡る機会を得た画家は、動物園に足繁く通って写生しました。
ライオンの大作を描いていますから、トラだって見たでしょう。
(リアルの追求だけでなく、描いた獣には気高いオーラまで漂わせて)
 
 
作品名:虎・獅子図(右隻の部分)
製作年:1901年
サイズ:166.4371cm(六曲一双)
所蔵 :三重県立美術館
作者 :竹内栖鳳(せいほう)18641942
 
「動物のにおいまで描く」と言われた栖鳳が、意識していたとされるのが大橋翠石(すいせき)です。
大橋翠石はパリ万博で金牌を受賞、明治天皇に作品を献上、セントルイス万博でも金牌でした。
パリ万博での評価は大橋翠石の方が、横山大観や竹内栖鳳などより上だったのです。
(年齢も近いし、動物お得意もカブるし、そりゃ〜栖鳳が翠石を意識したとしても不思議じゃない?!)
 
ところで、大橋翠石はいつ虎を見ることができたのか?!
それは故郷を襲った(父と死別)濃尾大震災の後にやってきた見世物小屋。
ここで本物の生きたトラを目にしたそうです。
(当然、通い詰めて写生・・・正に運命的なモチーフとの出会いでしょう)
 
こちらは大橋翠石が描いた晩年の作で、故郷の小学校からの依頼で描かれたもの。
この立派な虎の住まいが美術館ではなく、小学校だったとは驚きです!
(尚、2021年に大垣市の重要文化財となり、公開されていないそうです。)
 
 
作品名:大虎図
製作年:1944年
所蔵 :大垣市立東小学校
作者 :大橋翠石(すいせき)18651945
 
ゆったりと身を横たえつつも、尻尾の先はセンサーの役目を忘れず、
光を宿した瞳は何を見ているのでしょうか?!
毛並みのボリューム感や美しさは言うまでもありませんね。
(皆さんの故郷、母校にもお宝アートがあるかも♪)
 
生涯の折々に直面した死別や闘病の一方で、翠石は政治家や財界人の後援には恵まれました。
須磨で結核療養しつつ描いていた頃は、「翠石作品を持たぬは恥」とまで言われる人気ぶり。
(美しい動物の絵は勿論、虎画は縁起も良いと好まれたのかも〜)
ですが、画家本人は内向的だったそうで、画壇にも属さず己の画業に邁進。
毛描き筆も自作して揃え『虎の翠石』をどこまでも極めたのでした。
 
参考文献
「猛虎百態」 日本動物画協会(編集)
「明治の金メダリスト 大橋翠石」図録

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